「自動販売機を設置しませんか?」

家に突然やってきた男はそう告げた

「はぁ…」

差し出された名刺には知らない社名と

営業部 市川 雄一という男の名前が記されていた

とりあえず、新聞の勧誘や宗教ではなさそうだ

では、老人の小銭狙いの詐欺だろうか

だが、残念ながら私は詐欺に盗られるほど財産を持ってはいないのでその心配はないか

「お話だけでもよろしいので、お時間いただけないでしょうか…?」

この時点で断ったても良かったが、私は男の顔に見覚えがある気がした

だからだろうか、男を自分の家に招きいれたのは…


彼の話しによるとこちらは場所の提供と電気代の負担だけで良いらしい

自販機の管理、運営は彼の会社でやってくれるそうだ

そこで発生した利益の一部を自分に還元してくれるシステムということのようだ

自分にもある程度のリスクは生じるが、そこが逆に信用できるポイントでもあった

とりあえず明確な返事は避け、資料だけもらって彼には帰ってもらった

問題はここに設置して儲かるのかどうかということだ

自身の手間はほとんどないが、電気代はかかる

そして、自分の家の横に知らない人間が飲料を買いに来ると言うのは精神的に辛くはないだろうか

もし、若者の溜まり場にでもなったら事だ

そんな事を色々考えてはみたが後日、自動販売機を設置したいと私は連絡をした


数日後、家の横に自販機が設置された

設置されたしばらく後、一人のスーツ姿の男が緑茶を購入していった

この自販機の最初のお客だ、そう思うと何とも言えない充足感を感じる

続けて様子を見ていると今度は学校帰りの女子高生達がジュースを買っていった

どんな話をしているのか分からないが、楽しそうだ

結局、夜遅くまで自販機の様子を一日中眺めていた

そして、それが私の生活の中心になった

以前と同じように陽が昇り始める時間に起床して新聞を取りに行く

そのついでに必要ではないが、自販機でコーヒーを買うのが日課になった

新聞を片手に朝食を摂るのも以前と変わらないが

視線の先は気付くと記事ではなく、あの自販機へと向かっていた

夕方、人々が家路へと急ぐ中、通り道となる家の前も賑やかになる

当然、自販機を利用する人も増え、年甲斐もなく、何故だか嬉しくなる自分がいて笑ってしまう

夜も意識は自販機の方へ向いていた

眠っていても自販機の方で音がすればすぐに起き上がってしまう

おかげで、良く眠れない日もあったがそれはそれで楽しいと思えた

まさか自分にこんなに楽しい毎日がやってくるとは思わなかった


そんな生活が何週間も続いた後、家に彼がやってきた

自販機と私の様子を見に来たらしい

私は彼に自販機を置いてからの事を早口にまくしたてた

こんなにも熱心に物事を語るなど、何年ぶりのことだろうか…

それが営業用の顔なのか分からないが、男は呆れる様子もなく私の言う事を聞いていた

「ところで、売り上げの方はどうですか?」

一通り自分の事を話し終わった後、私は尋ねた

自販機を設置してはいるものの、運営には一切携わっていないからだ

「えぇ…悪くはないですよ、とりあえずいくらかは還元できそうですよ」

「そうですか…それは何よりです」

別にお金が欲しかったわけではなかったが、売り上げが悪くなり、自販機を撤去することが心配だったのだ

今の私の生活は、あの自販機なしには考えられなかった

「ご入金は来月の15日に指定の口座に振り込まれますので、その際はまたご連絡します」

「お願いします…それと、ありがとうございます」

「はい?」

「いつも帰りに自販機で飲み物を買って下さっているでしょう?」

帰り道なのだろうか、夕方になるとこの男はいつも自販機に寄っていた

「あぁ、たまたま帰り道なだけですよ…実はあそこに自販機があったら便利かなと思ってお誘いしたんです」

「そうなんですか?」

「まぁ、日常から探したと言えば聞こえは良いですが…自分のためにやったことでもあるので、維持費ぐらいはと思いまして」

「いや、その視線がこういった営業の仕事には必要なのではないでしょうか?」

「そう言ってもらえると助かります…では、今日のところはこれで…何かありましたらご連絡下さい」

彼はそういって軽く会釈した後、家を出て行った


その日は朝から雨が降っていた

道を行く人々もいつもより早足で通り過ぎていく

自然と、自販機を利用する人も少なかった

それでも、あの男は今日も自販機の前に立っていた

いつもと違い片手に傘をさしながら

彼はここで購入するのは維持費のようなものだと言っていた

だが、こんな天気でも律儀に飲み物を買う姿はまるで宗教的な儀礼のようだ

何か他に理由があるのだろうか

疑問に感じながら私は彼の後ろ姿を眺め続けていた

やがて、その背中は営業のためだろうか、民家の中へ消えていった


次の日は昨日の雨が嘘のように晴れ渡っていた

家の前の人通りも天候の影響か、昨日よりも多いようだ

だから私も久しぶりに外へ出てみることにした

こんな天気の良い日に家の中にいることが何か損している気分になったからだ

家の前の通りを歩いていくと、一軒の民家が気になった

昨日、彼が入っていった家だ

その家は私の家とは違い、最近建てられたものらしく外見も美しい

だが、広さもそれほどなく自販機を置くようなスペースはなかった

そもそも、こんな近くに自販機を設置するメリットがあるのだろうか

その辺の事情は素人の私には良く分からない

目を凝らしてみると、表札の文字に見覚えがあった

つい最近、ここの家の住人と同じ苗字の人間に会った気がする…

私が最近会った人間など、かなり限定される

いや、一人しか居なかった

自販機の営業をしている彼だ

もう一度、表札を良く見てみる

『市川 雄一』

確かにその名前はあの男性の名刺に書かれている名前と同じ物だった


その日の夕方、いつものように自販機に立ち寄った彼に私は声をかけた

まずは、近所に住んでいることを知らなかったことを素直に詫びた

そして彼に何故、私の家に声をかけたのか聞いた

近くに住んでいるのならわざわざ私のような人間に声をかけることはしないはずだ

「篠原さんの状態が…生前の父と同じでしたので…」

彼はそう答えた

「私の父も、篠原さんのように…こういう言い方は失礼かもしれませんが、引きこもっていました」

お茶で口を湿らし彼は続けた

「私の父親は作家で若い頃は机に向かい、筆を動かし熱心に作品を書いていました

ですが、母に先立たれた後は今までの気力がなくなってしまったようで…家に引きこもるようになりました

家族で何か手段はないかと色々手を尽くしました…もちろん、医者の所へも

ですがこのような場合、本人を刺激するのはなるべく避け温かく見守るべきと何処へ行っても言われました」

何度か湯飲みに手をつけながら彼は話し続ける

「ある日、父の古くからの友人が家に来ました

その方は父と違い、会社勤めの方で定年を迎え暇ができたので遊びに来たと言っていました

懐かしいのか、滅多に人に会わない父も快く家に迎え入れました

そして、その方は無気力な父を見て、自分の趣味を勧めました

何だと思います?」

私は彼の問いに首を振って答えた、想像もつかない

彼も特に回答を求めていたようではなく、すぐに話を再開した

「私の父親は最初は小さな盆栽をいじる程度でしたが

次第にのめりこみはじめたようで、最後には庭全体にまで及んびました

父は作家でしたので、創造力だけは豊かなようで…割と見事な庭になりましたよ

庭は通りを歩く人の目を奪い、近所でもかなりの評判にもなりました

そして、庭造り以外の時間は家に閉じこもりがちではありましたが

次第に外を歩く人の声を気にするようになりました

そして、ある日庭先で花を見ていた人に声をかけたのです

『その花はポインセチアというんです…よろしかったらお切りいたしましょう』

家族は大変驚きました

何しろ、父が全く知らない人間と話すなど数年ぶりだからです

その後、父は外に散歩に出るようにもなり、以前のように仕事としてではなく、趣味としてですが机にも向かうようになりました

そんな父に篠原さんが重なって見えたので…篠原さんに声を掛けてみたんです

実際に、私自身は父には何もできませんでした

ですから、代わり…というと語弊がありましが、何かをしたかったのです

残念ながら私には庭造りの趣味はないのでお教えする事はできませんでしたが

幸い、私の仕事が自販機のベンダーの設置の営業でしたので、駄目で元々と思い、お宅を訪問したのです」

そこまで、話したところで彼は急に頭を下げ、言った

「ですが、このように騙すような形になってしまい申し訳ありませんでした

もし、ご迷惑だと感じるのであれば自販機の方も撤去いたしますので…」

「いえ…迷惑だなんてそんな、むしろ感謝していくらいです」

確かに私は、家に引きこもっていた

仕事だけで生きてきた半生

毎日に追われ、趣味らしい趣味もなかった自分に与えられた自由と言う時間は困惑でしかなかった

気づけば戸惑うことも忘れ、ただ無意味に時を過ごすだけ…

何をするわけでもなく、一日中家にいる生活

そんな自分を考えることすら忘れていた…

そして、そんな私に気をかけてくれたこの男のやさしさに感動した

だから、私も頭を下げ感謝の言葉を述べた

「本当にありがとうございます…何とお礼を申し上げたら良いか」

「そんなお礼なんて…あ、でしたら一つよろしいでしょうか?」

お互い顔を上げた所で彼は何かを思いついたようだ

「…そこの自販機でジュースを奢ってください、どうも緊張して口が渇いてしまいまして」

なるほど、彼の湯のみは確かに空になっていた


ホーム 目次 次へ