「すみませーん」

インターホンなどというハイテクなものはこの家には存在しないようだったので

俺は扉を開け、純和風の家の中に向かい声をかけた

もちろん、玄関の鍵も開いている

現在の住宅事情から考えれば有り得ない気もしたが、この家ならむしろそれが会っている様に感じられる

そんな何処か懐かしさを感じる佇まいだ

家の外も生け垣の前にはなぜか自動販売機があり、そのギャップがまた良い

きっと俺がこの家に惹かれる理由はそこにあるのだろう

だから、俺はこの家の前で歌いたくなったのだろう

少しの間の後、中からでてきた主人に俺は早速、尋ねた

この家の前で一週間ほど歌って良いかどうかと

ちなみに路上で歌うので正式にはこの人ではなく、警察に届ける必要があるが気にしない

だって主人から二つ返事で了承を得る事ができたのだから

早速、その日の夕方から俺は歌い始めた

流石に近所迷惑という事もあるだろうから、暗くなる前には切り上げた

いつも歌っている駅前とは違った雰囲気が俺の心を楽しませてくれる

何より、住宅街の自販機の前で歌っていたというエピソードはメジャーになった後、必ずうけるはずだ

そんな妄想も含め、俺はこの自販機の前で歌い始めた


この場所で歌うようになった翌日

駅前には及ばないが、繁華街から住宅街へと続くこの道は夕方、かなり人通りが多い

思いつきで歌い始めてみたが、案外間違いではなかったようだ

ただ、既に家に『帰り始めている』人が通るため、立ち止まって聴いてくれる人は少なかった

だが、それでも…例え歩きながらでも、半強制的だとしても自分の歌を聴いてもらえるのは嬉しかった


歌い始めて三日目

三日目となると流石に珍しさもなくなってくるのか、聴いてくれる人はかなり少なくなった

そして、以前はこちらを気にしながら歩いていた人たちも今ではまるで空気のように歩いていく

だが、それと同時に『常連客』もできてきた

「…ありがとうございました」

曲を終え、通行人と目の前で聞いてくれていた客に礼の言葉を述べる

まだ、夕方という時間ではないので、人通りは多くはない

それでも、一人だけ熱心に聴いてくれる常連客がいた

「わーぱちぱちぱち」

そいつは手を叩きながらご丁寧に口でも拍手をくれた

「ねっ、ねっ、今のはなんて曲?」

「歌う前にも言っただろうが…『明日・明後日・明々後日〜地中海VER〜』だ」

この歌は俺が曲を作り始めた時に作ったもので、その後も独自にアレンジを加え続けている

今の地中海VERはその中でも最新の物で、ヨーロピアンな仕上がりとなっている

「また兄ちゃんのオリジナル?」

「あぁ、そうだ…良いできだろ?」

今まで演奏してきた中でも結構な感触だった

「そんなのより、この前みたいにTVで流れているようなのやってよ〜」

だが、他者の意見は冷たいようで、そんなの扱いだ

「兄ちゃん、歌うまいんだからさ〜後は曲だよ」

…兄ちゃんこれでも作曲家志望でもあるんだけど

「お前なぁ、リクエストするならおひねりぐらいいれろよ」

一応、そういう時は小額でも金を置いていくのが義理だ

「でも、ここに入っている小銭って全部兄ちゃんのじゃないか」

「だから、サクラって言って他の人が金を入れ易いようにしてるの」

「ふ〜ん、でも他の人がいれてる所見たことないよ?」

確かに俺も見た事がないが…そんな事は口が避けてもコイツには言えない

「お前が帰った後、がっぽり入るの!それよりタケシ、お前そろそろ帰る時間だろ?」

結局、タケシのリクエストで流行りのJPOPを歌った後、あいつは大人しく帰っていった

常連客といってもあいつは金を置いていくわけでもない

でも、俺の曲を熱心に聴いていてくれる、それは金銭に換えがたいものだった


そして、時刻は夕方から夜と呼ばれるような頃合になってきた

マイクなどの機械類を使っていないとはいえ、さすがにこの時間では近所迷惑となる

また人通りもピークを超え、まばらになるので俺は今日、最後の曲を歌っていた

「…サンキュー」

本日最後の曲を歌い終えた

そこで、小さな拍手が起こる

「あ、あのアンコールお願いします…」

更にその拍手よりも小さな声でアンコールが起こる

「…よし、次が本当に最後だぞ?」

俺はアンコールに応え今日、本当に最後の曲を披露した…目の前の少女に向けて

彼女は初日から俺の歌に熱心に聴き入ってくれた

俺はきっと彼女が音楽好きなのだと思った

少なくとも音楽に関心のない娘が立ち止まってくれるほど俺の歌が良いものだとは自分でも思っていない

だが、予想に反して彼女は特に音楽に興味があるわけではないようだった

いや、全くと言ってほどなかった

だから俺は色々と音楽の知識を教えてやった

先ほどのアンコールにしても俺が教えたものだ

最後の曲が終わったらとりあえず、アンコールと叫べと

もちろん、それ以外にも色々と話をした

大勢の客がいるライブのことだとか

路上ライブ中に酔っ払いにからまれたことだとか…

彼女はそれに対して身を乗り出す…というほどでもないけど関心を示してくれた

そしてなにより、タケシと違いちゃんとおひねりも出してくれるのだ

「あの、今日も…これで良いですか」

そう言って彼女はティッシュに包まれたものを差し出した

中には手作りらしいクッキーが入っていた…これが彼女のおひねりだ

「お、今日も手作りなのか?」

「あ、あの…お菓子部なので」

「いつもサンキュー…あ、座りな」

自分が今まで座っていた折りたたみの椅子を彼女に譲った

「あ、いえ…倉さんが座ってください」

「一昨日も、昨日も言ったけど俺はずっと座りぱなっしだったから…立ってる方が良いんだ」

本当はずっと座っていたわけではないが、こうでも言わないと彼女は椅子に座らないだろう

「そうでしたね、すみません…えぇと、その、失礼します」

ぺこりと頭を下げて彼女は椅子のはじに腰掛けた…もっと奥に座れば良いのに

「さて…今日も紅茶で良いのかな?」

とりあえず自分のコーヒーを買った後、彼女に聞いた

「あ、はい…えと」

彼女が慌てて財布の小銭を漁っているが無視してミルクティーのボタンを押した

「はいよ」

「えと、お金…」

彼女は財布から小銭を探し出せたようで、手のひらには120円がのっかっていた

「いやぁ、見栄ぐらいはらしてくれよ」

女子高生とジュース代を割り勘するような小さい男にはなりたくなかった

「はぁ」

これも3日間同じやり取りだが、彼女は未だに納得がいっていないようで

世間では逆に金をせびる女の子もいるというのに奥ゆかしいことだ


「私の仲の良い友達が学校を辞めたんです」

たわいもない会話の後、彼女はこう切り出した

「もっとも彼女は私の事なんか気にしていなかったかもしれませんが…」

視線を若干、下に移しながら続けた

「彼女は私なんかよりもはるかに成績が良くて、良く勉強も教えてもらいました」

彼女の制服はこの辺でも有数の進学校のものだから彼女の頭も悪くはないだろうから、恐らく謙遜だろう

「地味な性格なので、友達はあまりできませんでしたけど、彼女のおかげで学校も楽しいものになりました」

…ということは、そのお友達に出会うまでは楽しくはなかったのか

「でも、突然やめてしまって…相談して欲しかった、そうしたら何か力になれたかもしれない…ううん、せめて理由だけでも聞かせて欲しかったな」

こういう時、俺はどうすれば良いのだろう

何か声をかけるべきなのだろう

そんなことは分かっている

でも、ドラマのように気のきいた言葉をかけられるはずもない

実際、彼女と俺の歳はそうは変わらない

こんないつまでも叶うか分からない夢を追っている馬鹿な人間に

そんな気の聞いた言葉が思いつくはずもなかった

しばらくの沈黙の後、彼女は席を立った

「変な話してすみませんでした…また、明日も来て良いですか?」

俺がもちろんと声をかけると彼女は頭を下げて家へ帰っていった


次の日もその次の日も俺は同じ場所で歌った

珍しさもなくなって、立ち止まる人もかなり少なくなったし

中にはあからさまに『またかよ…』というような視線を向けてくる人もいる

だから、俺は決心をした


「明日でこの場所はラストにするわ」

夕暮れの街で俺は彼女に告げた

「えと…どうしてですか」

彼女は手にしたミルクティーの蓋も開けずに聞いてきた

「この家の主人には一週間ぐらいって言ったしな…」

「あの…次はどちらで歌う予定なんですか?」

「決めてないしな…まぁ、ここじゃない何処かって所か?」

「決まってないのなら…家の方に頼んでもう少し居ても良いんじゃないですか」

決まってないんじゃない…決めてないんだ

「…そういうもんじゃないんだよ」

今までもそう…気の向くままに行動してきた

「いつまでも同じ所にいてもしょうがないんだよ…俺の知らない所で俺を知らない奴の前で歌う、それが重要なんだと思う」

だから、俺は歌い続ける…知らない場所の誰かの前で

「今までありがとうな…明日、何かリクエストとかあるか?」

「そうですね…一度、『大勢の観客がいるライブ』ってのを見てみたいです」

「そうか、まぁ明日は最終公演だから人は大勢来るはずだ、ちゃんとアンコールしてくれよ?」

「はい」


「おい、タケシ…人を集めてきてくれ」

翌日、俺は珍しく早起きをした

「誰かと思ったら…兄ちゃん、何してるの?」

いつもとは違う時間帯に違う場所で俺と会った事にタケシは驚いているようだ

だが、俺は構わずに事の次第を簡潔に説明した

「兄ちゃん、あそこで歌うの今日で最後なんだ…だから人を集めてきてくれ」

「兄ちゃん…話が繋がってないよ」

「そうだが…とにかく、この前にみたいに友達を連れてきてくれ、できればたくさん」

「たくさんってどれくらい?」

武道館は確かフルで約15000人収容可能だが、あの道にそんなキャパシティはない

「100人くらい」

これくらいが妥当だろうか、そんな童謡もあったし

「そんなにいないよ」

「お前、友達が少ないんじゃないか?」

俺は童謡を歌ってみせた

「そもそも学年に100人も人がいないよ」

なるほど、こんな所にも少子化の波が…

「別に友達じゃなくても、学校の先生とか知らないおじさんとか誰でも良いから連れてきてくれ」

「知らないおじさんはまずいと思うけど…うん、分かったよ連れてくるよ」

「それとできれば、いつもより遅い時間に来てくれ」

「なんで」

「さっき言っただろ、兄ちゃん今日が最後だって」

全く話の分からんやつだ…これが学力低下ってやつか

「だから、話が繋がってないよ」

「とにかく、頼む、お願いだ」

俺は拝むように手を合わせ頭を下げた

「うん、でもそれだと塾があるやつとか誘えないな…門限厳しいやつも」

「それもお前の人徳で何とかしろ」

「人徳って良く分からないけど…さっきから兄ちゃんムチャクチャだよ」

自分でも分かってる…でも、無茶でもなんでもやってみたいと思ったのだ

「頼んだぞ、タケシ!」

「うん、とりあえずやってみるよ」


そして、夕方

いつもなら歌い始めている時間だがまだ歌わない

なぜなら今日は『大勢の観客がいるライブ』だからだ

だが、客はまだ誰も来て居ない

という事は開演時間はまだということだ

「こんばんわ」

最初に来たのは以外にも彼女だった

「どうした、今日は早いな」

「熱烈なファンは一番最初に来るもんだって言ってませんでしたか?」

中々嬉しいことを言ってくれる…流石は熱烈なファンだ

「よし、じゃあ特別にリハーサルを見せてやる」

俺は軽く練習曲を弾いた

やがて日が傾き始めた頃、なにやら集団がやってきた

その先頭にいるのは見慣れた毬栗頭の子供だった

「やっぱり、今日も来れずにはいられなかったか、タカシ?」

「呼んだの兄ちゃんだろ、それよりも連れてきたよ」

タケシの周りには同い年くらいの子供たちが集まっていた

いや、子供だけではなかった…大人の姿も見える

それがタケシの親なのか、あるいは学校の先生なのかは分からない

だが、タケシが連れてきた人数のお陰で通行人も何事かと足を止めるようになった

人が人を呼ぶような状態になり、俺が一週間で集めた人よりもはるかに多くの人が集まってくれた


最後の曲を歌い終え、俺はギターを置いた

「アンコールお願いします!」

最前列で聴いていてくれた彼女が大きな声で叫ぶ

そして、起こったアンコールの嵐

「俺は、今日ここで歌うのは最後になります

最後にこれだけの人が集まってくださって本当に嬉しく思います

まず、その事をそこにいる俺の大事な友人のタケシに礼を言います」

タケシは照れたように横を向いた

「そして、この曲は…実はこの間作ったばかりの曲ですが今までで最高の曲だと思っています」

あの時、俺は彼女に気の利いた一言も言えなかった

当然だ、俺は叶うはずのない夢を追い続けてる馬鹿野郎なのだから

でも、馬鹿なら馬鹿なりに何かしてあげられると思った…だから

「この曲は一人の少女とこの街に…」


警察が来ないのが奇跡的なほどの盛況ぶりだった

感極まった大人たちが俺のギターケースに小銭どころか札までいれてくた

今日はサクラ用の小銭を入れていないにもかかわらず大盛況だ

こんな事なら最初からこうしておけば良かったと軽く後悔する

一番最初に来たのが熱烈なファンなら最後まで残っていたのも熱烈なファンなのだろうか

「今日は…ありがとうございました」

彼女はいつものように深々と頭を下げた

「いや、礼を言うのはこっちの方なんだけど…はい」

こちらもいつものようにミルクティーを手渡す

「いえ、最後の曲…私のために創ってくださったので」

正確には一人の少女とこの街にだが…

「まぁ、元気出せよ…生きてりゃ良いこともあるからさ」

といってもまだ四半世紀くらいしか生きてないけど

「はい…あ、そうだサイン下さい」

「サイン?…サインつーと、何だっけ…三角州だっけ」

三角巾じゃないよな

「sinは三角比ですけど…その、倉さんが有名になった時のために今のうちにサインが欲しいんです」

なるほど、サインまで求めてくるとは本当に熱烈なファンだな

「じゃあ、サインペンと色紙持ってるか?」

「あ、すみません…用意してくるの忘れてしまいました」

きっと、彼女がサインと言ったのは思いつきなのだろう…だったら

「そういう時は準備しとけよ、今日は俺が出すから」

俺は自分の鞄からサインペンを取り出し

彼女が持っているミルクティーにサインを書いてやった

「今後書く時はちゃんと用意しといてくれよ」

「はい」

そういえば、サインを書いたのはこれが初めてだと気づいた

…俺もサインを書く練習をした方が良いのだろうか?


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