光を探していた

どこまでも続く暗闇を照らしてくれる希望の光を

今日は新月、夜を照らす明かりは自然界には存在しない

ならば目の前にある光は人が創りし偽りの光と言う事になる

だが、そんな事は僕には関係ない

今、手元にあるこの本が読めるのなら…


庭先に見慣れない花が咲いていた

少し気になったので調べてみると「ポインセチア」という名の花らしい

学術名は「Euphorbia pulcherrima」で花言葉は…


退屈な飲み会の帰り、終電を逃した僕は友人の家に泊まった

酒が飲めない自分のとっては飲み会は付き合い以外の何も出もない

だから本当はすぐに家に帰って、夕方に古書店で購入した文庫本を読みたかった

もちろん、結果的にそれができなかったから僕は今ここに居る

春になったと言ってもさすがに夜はまだ肌寒く、こんな所にいたら風を引いてしまいそうだ

だが、一日一冊は本を読まないと気がすまない僕としては読まずにはいられなかった

そのためには本を読むだけの光が必要だった

なぜなら、そいつの家には電気が通っていなかったからだ

別に電気が通っていない田舎というわけではない、そいつが酒なんか飲んでいる状況ではないという事だ

もちろん、本人にその自覚がないから部屋に着くなりすぐに寝てしまえるのだろうけど…

そんな理由で夜の街に明かりを探しに出て、ちょうど見つけたのが目の前にある自動販売機だった


中年の男が、歌謡曲を口ずさみながら歩いている

酒が入っているためか、音程も何もあったものではない

だが、私の胸にはその歌が心地よく響いていた


『幸せの探し方』

表紙には題名だけがそう書かれていて、作者の名前すら書かかれていなかった

そのシンプルな表紙をめくるとこう書かれていた

思うに幸福とは偶然の産物である

いくら幸福を求めてもその願いは叶わない

だが、もし真にあなたが幸福を求めるのであれば

文章はそこで終わっていた

「求めるのなら何なんだよ…」

シンプルな表紙が気に入ったので中身は確認していなかった

分かっているのは出版社からこの本が自費出版であるということくらい

だから内容は皆目検討も付かないし、どんな文体なのかも分からない

今読んだ感じだと翻訳された本のような感じもうける

とりあえず、考えてても仕方がないので先を読み進めた

内容は引きこもりの老人による一人称の小説だった

引きこもっていた老人が段々と外へ目を向けていくストーリー

出だしに書かれていた文のような表現はなく、読みやすい書き方だ

だからといって内容に深みがないかと言えばそうでもなく

実に巧妙に作られた世界に、僕はすぐにのめりこんでしまった

とても素人が作ったものとは思えなかった

恐らく、理由は分からないがプロの作家が個人的に書いたものなのだろう

だとしたら作者の名前が書かれていない理由にもなる

結局、1時間もしないうちに僕は本を読み終えてしまった

表題である『幸せの探し方』とやらは物語の中では一切、触れられていなかった

けど、この文章全体に小さな小さな幸せが詰っている…そんな風に感じた

「…さぶ」

本を読み終えた事で、急に現実に戻ったような気になる

現実世界を包み込む夜の風はひどく冷たく

先ほどまでそれが僕の世界を照らす唯一の光であった自動販売機の明かりも心なしか弱弱しく感じられた

…なんてね


人通りがまばらな通りから男女二人の声が聞こえる

思えば、夕方からずっと話し込んでいる

こういうのを世間ではアベックというのだろうか?


本を読み終わったのだからここにいる理由はない

だが、友人の家へ戻る気は起きなかった

どうせ戻っても狭い部屋で畳の上で雑魚寝だ

だったらここに居続けるほうが本が読める分まだマシだ

とりあえず、身体が冷えてきたので自販機で温かい紅茶を買った

紅茶を一口飲んだ後、僕はまた本を読み返し始めた

夜が開けるまで『幸せの探し方』を考えるのも悪くはない

適当に飛ばし飛ばし読み返したが、やはり『幸せの探し方』なる事項は書かれていない

何か暗号のような形で書かれているかもしれないと思い、横に読んだり、一行飛ばしで読んだりもしたが

予想通り、意味を持ちそうな言葉が出てくることはなかった

そんな試行錯誤を繰り返しているうちに、手の中の紅茶は空となり、次第に空も色を取り戻しはじめた

配達員が怪訝そうにこちらを伺いながら、新聞を投函していった

もう自販機の明かりなどなくても十分に本を読めるまで明るくなっている

時計を見るまでもなく、今の時間なら電車も動いているはずだ

そろそろ動くべきかどうかと考えていたら自販機に客が来たので、動くことにした

すると、男は僕がこちらに気がついたらしく、軽く頭を下げた

「おはようございます」

見ず知らずの男だが、無視するというわけにもいくまい

「おはようございます」

本を鞄へとしまいながら、首を軽く傾けながら男に頭を下げた

だが良く見てなかっただろうか、鞄に入れようとしていた本が落ちてしまった

それを男はすぐに拾い上げてくれた

今日、古本屋で買ったばかりの本だったのでカバーはしていない

題名だけが書かれたシンプルな表紙

良く考えると『幸せの探し方』なんて本を読んでいる人間はまるで幸せがないみたいじゃないか

そう考えるとその場をすぐに離れたくなる

するとと男はこう言った

「…確かに、幸せって偶然の産物ですね」

思うに幸福とは偶然の産物である

それはこの本の冒頭に書いてある文章だ

はたして、男はこの本を読んだ事があったのだろうか

自費出版の本だ、発行部数などたかがしれている

だが、この男は少なくともこの本を読んだ事があるはずだ

でなければ、『たしかに』という言葉は出てこないだろう

更に言えば、咄嗟に言葉が出てきたということは相当、熱を持っている

もしかしたら、この本の作者だろうか

自分でもなぜそう思ったのか分からない

発行部数の少ない自費出版の本だからそう思ったのだだろうか

いや、違う

この本の出来の良さなら熱心なファンがいてもおかしくない、現に自分がそうなりかけている

なら、なぜそう思ったのだろうか

『たしかに』と男が言った以上、作者でない事の方が濃厚だ

仮に書いた本人なら『やはり』といった類の言葉の方が正しいのではないか

どうかしましたか?とい言葉に対して、俺は首を振った

なぜなら、この話は少し謎めいていたほうが良い、そんな気がしたのだ

それを聞くのはこの本の『幸せの探し方』が分かってからの方が良いと思ったからだ

きっとこの男にはいつか会える

この自販機の前にくればきっと…きっと、いつか逢える、そう思えた


今日は久しぶりに庭先で読書をしてみた

日光を浴びながらという読書も中々のものだ

普段は家の中で読んでいたため新鮮に感じる

今度は月明かりの中読んでみようと思う


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