帰りの電車内、外はもう既に暗くなり始めていた

「子供の頃から病弱だったんです、私」

駅までの帰り道での彼女の言葉が蘇る

彼女によると、幼少期は学校よりも病院に居る時間の方が長かったと言っていた

だが、大きくなるにつれその時間は逆転していったようだ

そして彼女は高校へと進学した

だが、そこでまた病気が再発し、長い入院生活がはじまった

そんな彼女のもとへ「先生」は頻繁に見舞いに来てくれた

時には彼女の同級生や部活の後輩を連れて

一人で来た時は色々と相談に乗ってくれ、連れがいる時は一歩後ろで暖かく見守ってくれたそうだ

退院した後も「先生」は色々と良くしてくれたらしい

長期入院していたためクラスになじめなかったり、勉強についていけなかった彼女を支え、時には自分の専門以外の教科も見てくれたそうだ

そして、出席日数がたりない彼女を進級させるために、何度も頭を下げたらしい

もっとも、それは今日知った事らしいが…

そんな先生も定年のため、学校を去るときがやってきた…


先生が定年を迎えたと知ったとき、私の中には寂しさよりも不安の方が大きかった

先生が居てくれたから今までやってこれた

だから、先生が居ない学校生活が不安でしょうがなかった

新しいクラスになじめるだろうか…部に入ってくる新入生とやっていけるだろうか

そんな不安を口にしたら先生はやさしく微笑んで、こう言ってくれた

―もう、大丈夫だから―

あなたは強くなった、だから大丈夫と先生は言ってくれた

本当に私は強くなったのだろうか、大丈夫なのだろうか

少しだけ、疑問に思ったけど、先生の顔を見るとそうかもしれないと思えるようになった

今にして思えば、そう思えた事が強くなったということなのかもしれない

そして、高校を卒業したら報告に行きますという約束をした

それまでは、辛い事があっても決して弱音を吐かないと、そう心の中で決めた

それから一年が経った

先生が言ってくれたように私は大丈夫だった

新しいクラスでも新しい友達ができた

クラブでも先輩と呼んでくれる後輩がいる

そんな順調な学校生活はとても早く、季節はまた春へと変わっていた

卒業式が終わった後、先生が去年の暮れに亡くなった事を担任の先生が教えてくれた、

先生はもし、自分がこの世から去っても私が卒業するまで伝えないよう言っていたそうだ

担任の先生はだからといって式の直後に言うのもどうかなとも思ったのだけれどもと言っていた

だけれど私には関係なかった、むしろ今、その事を知って良かったと思えた

お墓の住所だけ聞いて…私は一度、銀行に立ち寄り駅へとすぐに向かった

そして東京に来たまでは良かった、だけれどそこからが問題だった

まず人の多さに驚き、ここが「東京」であるとあらためて認識した

それに駅を行きかう人たちは皆、早足で道を聞くのも躊躇われた

何とか、忙しそうな駅員さんに尋ねてみたけど、やはり詳しい場所は分からなかった

とりあえず、駅員さんに教えられたようにそちらの方面に行く電車に乗った

1、2回電車が止まった後、探している場所と同じアナウンスを聞いた

駅員さんから教えてもらった情報の全てを私は正直、全て把握できなかった

だけれど、駅員さんが忙しそうだったのでとりあえず理解したこの電車に乗った

だから、もしかしたらここがその場所かもしれないと思い、降りた

改札を出て、周辺図を見ても探している場所はなかった

不安がこみ上がってきた

自分は本当にこの場所にいけるのだろうか…

自分はもう大丈夫だと思っていたのはただの思い込みだったのではないか

ちょうどその時、そこに駅員さんが通りかかった

その人も、最初は困ったような表情をしていた

―やはり、だめなのだろうか―

そう思い始めたとき、その人は言った

「ちょっと待ってね、調べてくるから」

そう言って奥の方へ行ってしまった

その時も不安だった

そして、しばらくたった後その人はやってきた

なぜか、制服は着ていなかった

「じゃあ、行こうか」

そう言い残して先に歩き始めた

どういうことだろう

一緒に行ってくれるのだろうか

仮にそうだとして、知らない男の人と一緒で大丈夫なのだろうか

知らない人についていってはいけない、ましてここは「東京」なのだ…危険ではないか

そう思ったとき、先生が以前言っていた言葉を思い出した

―もう、大丈夫だから―

多分、私一人では先生の居る所に辿り着けないだろう

現にさきほどまで、不安に押しつぶされそうになっていた

でも今、こうして親切な駅員さんによって道が開けそうになっている…

だから、私は…大げさかもしれないけれど、最後の希望を託して私服姿の駅員さんの後をついて行った


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